弁護士ブログ(日々の出来事)
2013年6月15日 土曜日
今週の1週間(2013年6月10日から14日)
6月10日(月曜日)午前中は、方テラスの利用者との契約を行う。法テラスの契約は、法テラスを含めた三者契約なので、契約書の内容をきちんと説明するのは、本当は結構難しい。30分程度かかって契約終了。そのほかのいくつか作業を行ううちに午前中は終了。それからロータリーへ行って、午後は、外国人を相手とする家事事件の訴状を作成する(公示送達事件になるので、外国人の最後の住所地をどう調べるのかで、時間がかかる。弁護士法23条照会の手続きを確認する。
11日(火曜日) 朝は内科の病院へ行き、事務所に戻って昨日の続きをする。破産事件の債権者集会のための報告書を作成する。そのために、それまでにやるべきことを確認する。午後は、労働委員会へ行き、その後4時法律相談センターへ。4件の相談があった。最近は、ネット上に、無料法律相談を謳っている法律事務所が多いので、法律相談センターの申し込みは少ない。相談がある方が無駄な時間を過ごさないですむため有り難い。その後、事務所に戻って午前中の作業の続きを行う。
12日(水曜日)午前中は、歯科医に行く(定期的な健診)。その後法廷が1件。午後は事務所で法律相談。その後は昨日の続きをやる。
13日(木曜日)午前中は法廷が1件。昼食時に、弁護士会の委員会へ。午後は破産申立て事件のための事実関係の調査で終了。事実関係を整理しようとするが、つじつまのあった説明ができるまでには少し時間がかかりそうである。
14日(金曜日)午前中は相談と打ち合わせで終了。午後は、昨日の事件の整理の続きで終わる。切りの良いところで終了させて、スポーツジムに行くことにする。先週末に買ったハイビスカスの花が開いた。きれいな花だがすぐにしぼんでしまうのが残念。また、明日も咲きそうなので楽しみにすることにする。
11日(火曜日) 朝は内科の病院へ行き、事務所に戻って昨日の続きをする。破産事件の債権者集会のための報告書を作成する。そのために、それまでにやるべきことを確認する。午後は、労働委員会へ行き、その後4時法律相談センターへ。4件の相談があった。最近は、ネット上に、無料法律相談を謳っている法律事務所が多いので、法律相談センターの申し込みは少ない。相談がある方が無駄な時間を過ごさないですむため有り難い。その後、事務所に戻って午前中の作業の続きを行う。
12日(水曜日)午前中は、歯科医に行く(定期的な健診)。その後法廷が1件。午後は事務所で法律相談。その後は昨日の続きをやる。
13日(木曜日)午前中は法廷が1件。昼食時に、弁護士会の委員会へ。午後は破産申立て事件のための事実関係の調査で終了。事実関係を整理しようとするが、つじつまのあった説明ができるまでには少し時間がかかりそうである。
14日(金曜日)午前中は相談と打ち合わせで終了。午後は、昨日の事件の整理の続きで終わる。切りの良いところで終了させて、スポーツジムに行くことにする。先週末に買ったハイビスカスの花が開いた。きれいな花だがすぐにしぼんでしまうのが残念。また、明日も咲きそうなので楽しみにすることにする。
投稿者 あさひ共同法律事務所 | 記事URL
2013年6月15日 土曜日
ペリー提督の黒船が来てから160年
今年2013年は、1853年にペリー提督の黒船4隻が浦賀に来て江戸幕府に開国を迫ってから160年になる。160年というとずいぶん昔のことのように思うが、これを折り返してみると、1853年に生まれた人が1933年に80歳となり、その年に生まれた人が現在80歳ということになるから、現在90歳くらいの人は、ペリー提督と同時代を生きた人と一緒の空気を吸って可能性があることになる。
1853年生まれの人は、1868年(いわずとしれた明治維新の年)に15歳だから、明治維新をリアルに体験していることになる。そして、日清戦争(1894年 明治27)のときは42歳で、それから10年後の日露戦争(1904年 明治37年)のときは52歳、さらに10年後の第一次世界大戦(1914年 大正4年)のときは62歳となっている。つまり、文明開化、富国強兵の時代を生き、日本の資本主義の発展の歴史を体験していることになる。その後、昭和が始まったとき(1925年)には72歳となり、満州事変(1931年)のときには78歳となっており、もう少し生きていれば2,26事件(昭和11年)ときは、83歳となっている。そして、93歳まで生きていれば、第二次世界大戦が終了し、大日本帝国の消滅(1945年)までを生きていたことになる。
他方、現在80歳の方は、昭和8年(1933年)に生まれている。この年代の方は、小学校(国民学校)を出たときに、戦争が終わり、苦しい少年期を過ごし、その後の日本の高度成長期を支えてくれた方々である。野球の野村克也元監督などが昭和10年生まれなので(長嶋茂雄氏も同学年)、それより少し上の年代ということになる。その年代の方々は、周りにもかなりいらっしゃると思う。
むろん、1853年生まれの人と1933年生まれの人では、学んできたことも、社会生活も明らかに異なるところがあると思うが、他面、同じ空気を吸って同時代を過ごしたということもあることからすると、そんなに違うのかなとも思う。同じことは、80歳の人と同じ時代を生きている私や、もっとずっと若い人との間でもいえることだと思う。
1853年生まれの人は、1868年(いわずとしれた明治維新の年)に15歳だから、明治維新をリアルに体験していることになる。そして、日清戦争(1894年 明治27)のときは42歳で、それから10年後の日露戦争(1904年 明治37年)のときは52歳、さらに10年後の第一次世界大戦(1914年 大正4年)のときは62歳となっている。つまり、文明開化、富国強兵の時代を生き、日本の資本主義の発展の歴史を体験していることになる。その後、昭和が始まったとき(1925年)には72歳となり、満州事変(1931年)のときには78歳となっており、もう少し生きていれば2,26事件(昭和11年)ときは、83歳となっている。そして、93歳まで生きていれば、第二次世界大戦が終了し、大日本帝国の消滅(1945年)までを生きていたことになる。
他方、現在80歳の方は、昭和8年(1933年)に生まれている。この年代の方は、小学校(国民学校)を出たときに、戦争が終わり、苦しい少年期を過ごし、その後の日本の高度成長期を支えてくれた方々である。野球の野村克也元監督などが昭和10年生まれなので(長嶋茂雄氏も同学年)、それより少し上の年代ということになる。その年代の方々は、周りにもかなりいらっしゃると思う。
むろん、1853年生まれの人と1933年生まれの人では、学んできたことも、社会生活も明らかに異なるところがあると思うが、他面、同じ空気を吸って同時代を過ごしたということもあることからすると、そんなに違うのかなとも思う。同じことは、80歳の人と同じ時代を生きている私や、もっとずっと若い人との間でもいえることだと思う。
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2013年6月 8日 土曜日
今週の1週間(6月3日から6月7日まで)
6月3日(月曜日) 午前中は、10時から民事の法廷が1件。金融会社を相手とする消費者事件。午後は、ロータリーに出て、その後に打ち合わせを1件。それに基づいて相手方に送る書面を作成する。その後は、書類の検討で終る。
4日(火曜日) 午前中は、翌日の事件の準備で終わる。午後は、懸案の事件について関係者と打ち合わせ。裁判所に対するプレゼンのやり方を検討する。プレゼンは口頭での意見の表明となるので、どの程度に表現すれば、うまく伝わるのかどうか、また、うまく伝わるかどうかを関係者に説明するのが結構難しい。
気分転換のために夕方はスポーツクラブへ行く。
5日(水曜日) 午前中は法廷が1件。月曜日と違う別の金融会社を相手とする事件。地裁の事件だが、相手が支配人を代理人としてきたので、その点を問題であると指摘する。カスタマーズセンターのセンター長代理は支配人だろうか。
午後は、親子関係の相談。これも外国人ということが関係していて色々と難しいところがある。ほかに1件の相談あり。
6日(木曜日) 午前中は法廷が1件。その後、前日の支配人の件で準備書面を作成して提出。午後は、昨日の親子関係の件を検討する。破産管財事件で、税務署の差押絵のある不動産(先順位の抵当権があり、税務署は法定納期限が抵当権に劣後している。しかも評価額は抵当権の被担保債権額をかなり下回る。)の任意売却の件を検討する(税務署がどの程度の金額で了承してくれるか)。
7日(金曜日) 午前中は相談業務で終了。午後は、労働委員会のあっせんのため半日が終了する。その後、事務所に戻って、いくtかの書面を作成する。明日もがんばろうと思う。
4日(火曜日) 午前中は、翌日の事件の準備で終わる。午後は、懸案の事件について関係者と打ち合わせ。裁判所に対するプレゼンのやり方を検討する。プレゼンは口頭での意見の表明となるので、どの程度に表現すれば、うまく伝わるのかどうか、また、うまく伝わるかどうかを関係者に説明するのが結構難しい。
気分転換のために夕方はスポーツクラブへ行く。
5日(水曜日) 午前中は法廷が1件。月曜日と違う別の金融会社を相手とする事件。地裁の事件だが、相手が支配人を代理人としてきたので、その点を問題であると指摘する。カスタマーズセンターのセンター長代理は支配人だろうか。
午後は、親子関係の相談。これも外国人ということが関係していて色々と難しいところがある。ほかに1件の相談あり。
6日(木曜日) 午前中は法廷が1件。その後、前日の支配人の件で準備書面を作成して提出。午後は、昨日の親子関係の件を検討する。破産管財事件で、税務署の差押絵のある不動産(先順位の抵当権があり、税務署は法定納期限が抵当権に劣後している。しかも評価額は抵当権の被担保債権額をかなり下回る。)の任意売却の件を検討する(税務署がどの程度の金額で了承してくれるか)。
7日(金曜日) 午前中は相談業務で終了。午後は、労働委員会のあっせんのため半日が終了する。その後、事務所に戻って、いくtかの書面を作成する。明日もがんばろうと思う。
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2013年6月 1日 土曜日
今週の一週間(2013年5月27日から5月31日)
今週のやったことを振り返ってみる(前回は、日曜日に書いたので先週の1週間となったが、今日は土曜日なので、今週の1週間ということになる。)。
27日(月曜日) 朝は、メールチエックや電話を済ませて検察庁に開示の連絡のあった国選の刑事(自動車運転過失傷害)事件の記録を見に行く(全部の謄写をお願いしても良いが、カラーの部分を確認するため現物を見ることにしている。)。昼食時にはロータリーに行って、2時前に帰ってくる。3時に眼へ。帰ってきて、それから8時過ぎまで事務所にいる。途中で刑事事件の関係で、情状証人候補者に連絡を取る(人証の申請書を作成)。
28日(火曜日) 朝、拘置所で接見。拘置所は久しぶり。事務所に戻ってこの事件の保険会社の担当者に示談の状況などを質問する。午前中に打ち合わせを1件(相続の関係)、午後は、会社からの相談(2件合計4時間)でつぶれる。契約書の全面的な見直しと資金調達方法に関する相談のため、結構疲れる。このため早変えることにしてスポーツクラブへ行く。
29日(水曜日) 午前中は、相談2件(内1件は離婚の相談で法テラスを利用)、午後は、福岡県労働委員会。福岡県労働委員会では、今後個別紛争事件のあっせんも取り扱うことになったので、そのための研修も受ける。夕方から、裁判所との民事裁判についての運用に関する共同研究会に出席する。
30日(木曜日) 8時の飛行機で東京へ。11時から日弁連の民事裁判委員会へ出席。夕方5時までのマラソン委員会。その後、前委員長の委員長退任のための「お疲れさん会」。日帰りとはならず、東京に宿泊。
31日(金曜日) 8時の飛行機で福岡へ帰る。たまっていたことをしているうちに一日が終わる。来週を気持ちよく迎えるために、土曜日は、事務所に出ることにする。
27日(月曜日) 朝は、メールチエックや電話を済ませて検察庁に開示の連絡のあった国選の刑事(自動車運転過失傷害)事件の記録を見に行く(全部の謄写をお願いしても良いが、カラーの部分を確認するため現物を見ることにしている。)。昼食時にはロータリーに行って、2時前に帰ってくる。3時に眼へ。帰ってきて、それから8時過ぎまで事務所にいる。途中で刑事事件の関係で、情状証人候補者に連絡を取る(人証の申請書を作成)。
28日(火曜日) 朝、拘置所で接見。拘置所は久しぶり。事務所に戻ってこの事件の保険会社の担当者に示談の状況などを質問する。午前中に打ち合わせを1件(相続の関係)、午後は、会社からの相談(2件合計4時間)でつぶれる。契約書の全面的な見直しと資金調達方法に関する相談のため、結構疲れる。このため早変えることにしてスポーツクラブへ行く。
29日(水曜日) 午前中は、相談2件(内1件は離婚の相談で法テラスを利用)、午後は、福岡県労働委員会。福岡県労働委員会では、今後個別紛争事件のあっせんも取り扱うことになったので、そのための研修も受ける。夕方から、裁判所との民事裁判についての運用に関する共同研究会に出席する。
30日(木曜日) 8時の飛行機で東京へ。11時から日弁連の民事裁判委員会へ出席。夕方5時までのマラソン委員会。その後、前委員長の委員長退任のための「お疲れさん会」。日帰りとはならず、東京に宿泊。
31日(金曜日) 8時の飛行機で福岡へ帰る。たまっていたことをしているうちに一日が終わる。来週を気持ちよく迎えるために、土曜日は、事務所に出ることにする。
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2013年6月 1日 土曜日
6月1日から変わるもの
昨日(30日木曜日)は、日本弁護士連合会の民事裁判委員会という会合があり、それに出席するために東京に行っていた。日弁連のには人権擁護委員会、司法制度調査会、消費者問題対策委員会など数多くの委員会があり、その各委員会は毎年6月にスタートし、5月末で終わる(3月末でなく時期的には少し変だが、日弁連の会長、副会長、各単位会の会長が4月からということで同時に全部変わるというのは大変なので5月末の入れ替えとなっているらしい。)。民事裁判委員会では、増田委員長が2年間の委員長の任期満了ということで、増田委員長での最後の委員会となった。「2年間ご苦労さまでした。」。増田委員長のご苦労さん会などの事情で私は、30日は東京に宿泊。
31日(金曜日)朝の飛行機で福岡に帰ってきた。行きも帰りもJALを使ったが、機内誌に、lJALの制服が6月1日から変わると書いてあった。客室乗務員などほぼ全員の制服が変わるということである。新しいJALという企業イメージの刷新、従業員の気分の刷新などいくつかの目的があると思う。経費も結構大変だろうなと思いながら、世の中には制服マニアという人もいるので、制服の全部を回収するには結構気を使うななどと詰まらないことも思った。無論、会社としては、そんなことより、乗客の評判が一番気になるだろうと思う。
31日の飛行機では、日弁連の会議が一日ずれていたら、両方見ることができて(しかも翌朝が早かったので)違いがよく分かったのにな、などと暇なことを考えていた。もっとも、最後の日に乗り合わせてもう一度見ることができて良かったのかも知れないとも思った(なんて暇なことを考えているんだ、と自分でも思う。)。いずれにせよ、客室乗務員の新しい制服はやはりニュースなので、しばらくは、前の方がよかった。新しい方がかわいいなど、なにかと話題になるのであろう(そして、そのことがJALの狙いの一つなのだろう。話題になれば、社員の励みになるからである。)。
31日(金曜日)朝の飛行機で福岡に帰ってきた。行きも帰りもJALを使ったが、機内誌に、lJALの制服が6月1日から変わると書いてあった。客室乗務員などほぼ全員の制服が変わるということである。新しいJALという企業イメージの刷新、従業員の気分の刷新などいくつかの目的があると思う。経費も結構大変だろうなと思いながら、世の中には制服マニアという人もいるので、制服の全部を回収するには結構気を使うななどと詰まらないことも思った。無論、会社としては、そんなことより、乗客の評判が一番気になるだろうと思う。
31日の飛行機では、日弁連の会議が一日ずれていたら、両方見ることができて(しかも翌朝が早かったので)違いがよく分かったのにな、などと暇なことを考えていた。もっとも、最後の日に乗り合わせてもう一度見ることができて良かったのかも知れないとも思った(なんて暇なことを考えているんだ、と自分でも思う。)。いずれにせよ、客室乗務員の新しい制服はやはりニュースなので、しばらくは、前の方がよかった。新しい方がかわいいなど、なにかと話題になるのであろう(そして、そのことがJALの狙いの一つなのだろう。話題になれば、社員の励みになるからである。)。
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