弁護士ブログ(日々の出来事)

2013年6月30日 日曜日

ネルソン・デミルの小説(ゲート・ハウス)

 
 このところ、判例紹介の方はおぶさたとなっている。自宅から事務所まで途中で25分くらい電車に乗っており、その間が読書タイムになっている。その車中で、判時、判タ、金法、金判などの判例雑誌を読んで(目を通して)、事認定が面白そうな裁判例を探しているが、このところ、あまり適切な裁判例に当たらない。
 そんこともあって、村上春樹の古い本(ノルウエーの森)を読んでいたら、ほかの本も読んでみようということになった。そこで、近くの図書館に行ったところ、ネルソン・デミルのゲート・ハウスにぶつかったというものである(すごく長い前振りになってしまった。)
 先週は、東京への2回の往復が予定されていたこともあって、行き帰りの航空機の中で読む小説が必要になっていたこともある(飛行機の中や電車の中でで読むなら、やはりネルソン・デミルの方がずっと良い。)。

 この「ゲート・ハウス」(2008年出版)は、デミルの旧作「ゴールド・コースト」 1990年出版、日本では1992年)の続編ということであるが、主人公のジョン・サッターがアメリカの税法専門の弁護士ということもあり、私には興味深かった。
 ゴールド・コーストは、ニュー・ヨーク近郊のロングアイランドにある億万長者の大邸宅のある町だそうで、久作は、そこに住むWASPの弁護士ジョン・サッターの一人称で語られる小説である。
内容は、ジョンとその妻で億万長者の娘スーザンの夫婦の隣にマフィアのドンが引っ越してきて、サッター夫婦と親しくなり、その後、そのドンとスーザンの関係ができてしまい、なにやかやがあってスーザンがそのドンを銃で射殺してしまうという複雑な小説である(説明するとなると面倒であるが、「グレート・ギャツビー」+「ゴッド・ファーザー」の世界ということらしい。)、エンターティメントな小説であって、小説の中でのスーザンのぶっ飛びぶりとジョンの弁護士らしい自己分析や自己弁護などがなかなか身につまされる小説である。ほろ苦い結末なので、年齢のせいかハッピーエンドの好きな私としては少し重たいところがある。

 今回の新作(題名のゲート・ハウスは大豪邸の門番の家の意味)は、それから10年後の話であり、9.11事件から2年後の世界である。前作のほろ苦い結末が引き寄せてきた話であるが、ま面白い。とまとまりのないところを書いておこう。講談社文庫上下2冊でありボリュームはすごい。
 部分的に興味を引いたところ(トリビア的)は、別の機会にでも書いておきたい。

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2013年6月29日 土曜日

今週の1週間(6月24日から6月28日)

6月24日(月曜日) 午前中は、事務作業、7月1日の破産の債権者集会用の資料の作成で時間を使う。それに自己破産申立事件で、車が無くなったということで、所在の確認作業をしていたら電話でのやり取りで一日が終了した。夕方は、RCの夜間例会へ出席。

 25日(火曜日)朝8時の飛行機で、東京へ行く。11時からの日弁連民事裁判手続に関する委員会(略して民裁委員会)に出席する。2013年度の第1回目の委員会だが、今年度の委員長の役目を引き受けることになる(事前に引導を渡されていた。)。1年間(通常は2年間)委員長職を引き受けることになる。委員長を引き受けて議事を進行させるが、なかなか簡単にはいかない。日弁連職員の江原さんに迷惑をかけることになる。委員会が終わったら、当委員会のメンバーの一部と最高裁民事局との定例の協議会に参加する。増田前委員長の慰労を兼ねた懇親会も行って、今日は東京に泊まる。
 

 26日(水曜日) 朝8時20分の飛行機で福岡に帰ってくる。11時には事務所に出る。少し仕事をして午後2時からの労働委員会に出る。会議終了後、事務所に戻り、少し打ち合わせをして、労働委員会の退職された方の送別会に出る。

 27日(木曜日) 午前11時から刑事事件(国選事件)がある。弁論まで行う。11時45分に終わったので、事務所にその記録を置いて1時の飛行機で日弁連の委員長会議(3時から)に出る。3時30分に日弁連に着いたので30分の遅刻ですむ。20時の飛行機で福岡に帰る。

 
 
 28日(金曜日) 一日事務所にいる。先週デスクのパソコンがダウンしたので買い換えたが、まだ届かず、ほかの人のデスクを使わせてもらうのであまり進まない。こんな日は早く帰ってスポーツクラブに行くことにする。明日少しやることにする。

 

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2013年6月23日 日曜日

先週の一週間(6月17日から24日)

日曜日に書いているので先週の1週間になってしまった。

17日(月曜日)午前中は、さしたることのなく終了。というか、自己破産申立て事件を受けているが、どのような経緯から破産に至るのかが、もう一つよく分からない。債務の生じた時期と内容をもう少し自分でも納得がいくようになりたい。資料の不足もあって停滞している。夕方から福岡地方裁判所と弁護士会の民事手続協議会(題材は、「交通事故訴訟」)。

18日(火曜日) 午前中に昨夕届いた19日の訴訟事件の準備書面に対する反論の準備書面(3頁)を書く。その後は、破産事件のことで現金出納簿や支払伝票などを見ているが、やはり全体がきちんと呑み込めない。午後から、高齢者の契約の立会に行く。帰ってきてやはり破産事件の整理を行う。

 19日(水曜日) 午前中は法廷が1件。午後からは即決和解に行く。土地明け渡し事件。バブルのころ(平成元年から5年頃まで)はたくさんあったような気がしてすごくなつかしい。このほかに、親子関係の存在に関するDNA鑑定を依頼するための準備をする。

 20日(木曜日) 午前中は雑用で終了。私が破産管財人の事件の報告書の準備で時間がとられる。夕方からは不動産研究会(今回の担当会は土地家屋調査士会)へ出席。境界の立会の相手方へのお願いなど苦労していることが多いようである。

21日(金曜日) 午前中は、私たちの事務所が申立代理人となっている破産事件の終了集会と、私が破産管財人の事件終了集会で終わる。午後は、破産申立て事件の準備(少し全体像が分かってきたような気がする。)。残りは明日事務所に来てやろうと考えて、スポーツクラブへ行く。

 22日(土曜日) パソコンがうまく動かない。XPだし買替えかなと思う。このため、作業がまったくできないまま土曜日が終わる。


 

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2013年6月15日 土曜日

今週の1週間(2013年6月10日から14日)

 6月10日(月曜日)午前中は、方テラスの利用者との契約を行う。法テラスの契約は、法テラスを含めた三者契約なので、契約書の内容をきちんと説明するのは、本当は結構難しい。30分程度かかって契約終了。そのほかのいくつか作業を行ううちに午前中は終了。それからロータリーへ行って、午後は、外国人を相手とする家事事件の訴状を作成する(公示送達事件になるので、外国人の最後の住所地をどう調べるのかで、時間がかかる。弁護士法23条照会の手続きを確認する。

 11日(火曜日) 朝は内科の病院へ行き、事務所に戻って昨日の続きをする。破産事件の債権者集会のための報告書を作成する。そのために、それまでにやるべきことを確認する。午後は、労働委員会へ行き、その後4時法律相談センターへ。4件の相談があった。最近は、ネット上に、無料法律相談を謳っている法律事務所が多いので、法律相談センターの申し込みは少ない。相談がある方が無駄な時間を過ごさないですむため有り難い。その後、事務所に戻って午前中の作業の続きを行う。

 12日(水曜日)午前中は、歯科医に行く(定期的な健診)。その後法廷が1件。午後は事務所で法律相談。その後は昨日の続きをやる。

 13日(木曜日)午前中は法廷が1件。昼食時に、弁護士会の委員会へ。午後は破産申立て事件のための事実関係の調査で終了。事実関係を整理しようとするが、つじつまのあった説明ができるまでには少し時間がかかりそうである。

 14日(金曜日)午前中は相談と打ち合わせで終了。午後は、昨日の事件の整理の続きで終わる。切りの良いところで終了させて、スポーツジムに行くことにする。先週末に買ったハイビスカスの花が開いた。きれいな花だがすぐにしぼんでしまうのが残念。また、明日も咲きそうなので楽しみにすることにする。


 
 

 

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2013年6月15日 土曜日

ペリー提督の黒船が来てから160年

今年2013年は、1853年にペリー提督の黒船4隻が浦賀に来て江戸幕府に開国を迫ってから160年になる。160年というとずいぶん昔のことのように思うが、これを折り返してみると、1853年に生まれた人が1933年に80歳となり、その年に生まれた人が現在80歳ということになるから、現在90歳くらいの人は、ペリー提督と同時代を生きた人と一緒の空気を吸って可能性があることになる。
 

 1853年生まれの人は、1868年(いわずとしれた明治維新の年)に15歳だから、明治維新をリアルに体験していることになる。そして、日清戦争(1894年 明治27)のときは42歳で、それから10年後の日露戦争(1904年 明治37年)のときは52歳、さらに10年後の第一次世界大戦(1914年 大正4年)のときは62歳となっている。つまり、文明開化、富国強兵の時代を生き、日本の資本主義の発展の歴史を体験していることになる。その後、昭和が始まったとき(1925年)には72歳となり、満州事変(1931年)のときには78歳となっており、もう少し生きていれば2,26事件(昭和11年)ときは、83歳となっている。そして、93歳まで生きていれば、第二次世界大戦が終了し、大日本帝国の消滅(1945年)までを生きていたことになる。

 他方、現在80歳の方は、昭和8年(1933年)に生まれている。この年代の方は、小学校(国民学校)を出たときに、戦争が終わり、苦しい少年期を過ごし、その後の日本の高度成長期を支えてくれた方々である。野球の野村克也元監督などが昭和10年生まれなので(長嶋茂雄氏も同学年)、それより少し上の年代ということになる。その年代の方々は、周りにもかなりいらっしゃると思う。
 

 むろん、1853年生まれの人と1933年生まれの人では、学んできたことも、社会生活も明らかに異なるところがあると思うが、他面、同じ空気を吸って同時代を過ごしたということもあることからすると、そんなに違うのかなとも思う。同じことは、80歳の人と同じ時代を生きている私や、もっとずっと若い人との間でもいえることだと思う。

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