弁護士ブログ(日々の出来事)

2020年5月14日 木曜日

今週の1週間(4月20日から24日)

 4月20日(月曜日)さて、裁判所はお休みで、期日の取消が続いている。こうなるととても気が緩む。締切に追われて書面を作る、という流れに慣れていたので、締め切りがないととても戸惑う。特に、4月のこの時期までは、裁判所も移動(裁判官も書記官も)で、なかなか期日が入らないところに、期日の取消があると(というか全事件である)とても困る。こういうときは、古い記録の整理(終了記録を見返して、必要な部分のみを保管庫に移す。)という作業をやれば良いのだが、なかなかそうもいかない。なんとなく、一日が早く終わるような気がする(自粛のため、お店もしまっており、早く家に帰るしかない。)。

 4月21日(火曜日)今日もどうしようかと思っていたら、午後になって当番弁護士が当たる。法テラスからの連絡では、20日満期が25日だという。つまり4月6日の勾留決定の事件。被疑者国選事件なので、どうしてこれまで国選弁護人が付かなかったか不明(2勾留目なので、さすがに被疑者が私選弁護人を考えているといった理由で伸びたわけではないだろうと思い、私選弁護人がついてたが意見が合わず解任した、というようなことを予測していた。)。とりあえず、福岡市内だが少し遠めの警察署に接見に行く。行くと、被疑者からは、国選であっても弁護人を頼むつもりはなく、ここまで来たが、いよいよ頼んでみるかという気になった、と言われる。それがだめだとは言わないが、などと考えていたら、否認していると言われる(それも最初から否認で、身上経歴以外は調書も作らせていないと言われる。)。この日が検事調べだったと聞き(昼間勾留場所の警察署に所在を確認したところ、検事調べと言われ、初接見でほぼ役目は終わるのかと思っていたら、そうではないことが分かった。聞いてみると、調書は、問い答え(検察官との一問一答方式)で作成しているらしく、それでは、否認事件確定といった感じである。ガンバローとしか言いようがない。

 4月22日(水曜日)先週からまじめに書き始めた福岡県弁護士会の会史の原稿を書く。顧問先からの電話もなく静かな環境で書けそうだが、平成時代30年間の民事裁判(もちろん、具体的な裁判例ではなく、審理のやり方などの取組方の違いの意味である)の流れを書くのだが、普段からこういう点で資料を取っておくというタイプでないのでとても苦労する(今まで書きためていたものに手を加えるということができないのでーそういう蓄積ばないのでー全てがオリジナルになる。)。
 当初は、新民事訴訟法改正前から、「福岡方式」、改正後の動きなどを書けば、3万字から5万字くらいは、書けそうだなどと思っていたが、会史を書こうという話が出た際に(私は、企画段階で全く関与しておらず、平成時代の福岡県弁護士会の会史を作るという話は、全く聞かされておらず、企画立案は、地域司法計画本部らしく、10項目くらいが出された後に、やはり刑事裁判と民事裁判も項目に挙げておこうということになったらしい。不幸なことに、15年ほど前に会史を作ったとき、私がたまたま福岡県の民事手続委員会委員長ということで書いていたことから、その続きということで回ってきたようである。)。
 その打ち合わせ会議では、ただ、記録だけを作っても、誰も読まないとか、若い会員のためになるものにしろ、とか言われて、基本的なコンセプトも決まらないまま、それぞれが走り出す、という形になる。

 4月23日(木曜日)今日は、接見に行く。警察署で、具合が悪くありませんか、体調はどうですか、と聞かれる。別に、意識もせず、少し辺鄙なところにある、警察署まで接見に来たので(この日は天候が悪かった)、親切に心配してくれたんだと思ったが(お年寄りに見られたのかもしれない)、コロナの関係で質問されたのだと途中で気が付く。確かに留置場内で誰かがコロナウイルスに感染したら、大変だろうな。とは思う。それに、いつもは決して開けていない留置場事務室の窓が開いていて、やはりコロナ対策が大変なのだなと思う。

 4月24日(金曜日)明日から2週間は、長い休みなんだなと思う。どこにも出られないので、会史の続きを書こうと思う(実は書き始めたものの、あまり全体的な計画ができないまま書き始めたので、なんとなく3万字を書いたが、大して進んでいない。)。被疑者も起訴されてしまったので、こちらも、調書ができるまでは、一休みになる。


投稿者 あさひ共同法律事務所

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